誰もが1度は観たことがある映画、サウンド・オブ・ミュージックを英語の学習にあてようと思います。

前回は、修道女たちの会話を紹介しました。

そのときに唄われる歌がつぎの Maria と言う曲です。

歌の中でマリアの素行をあげつらった上で、締めくくりの一節が次の歌詞です。

Oh, how do you solve a problem like Maria?
How do you hold a moonbeam in your hand?

(どうしたらマリアのような問題児を矯正できるでしょう。
月の光を手にとどめておくことなどできません。)

 

さて、マリアは、修道院長(マザー)の部屋に呼ばれます。なにを言い渡されるのか、不安げなマリアです。

言い訳を聞くわけで呼んだのではないと言われながらも、自然の中で育ち、思ったことや感じたことを唄わずにいられないのだとほとばしるように話し出すマリア。

マリアのような自然児を規則でしばり、修道院に押し込めておくのは所詮むりだとマザーは覚ったようです。

Maria, when you saw us over the Abbey wall and longed to be one of us, that didn’t necessarily mean that you were prepared for the way we live here, did you?

(マリア、修道院の外から見てシスターになりたいと思ったのですね。でもここで生活することに心の準備が必ずしも出来てなかったのではないですか。)

やがて、マザーは次の言葉を発します。

Maria, it seems to be the will of God that you leave us.

(マリア、ここを去ることが神のご意志のようです。)

大きく動揺するマリア。そこでマザーが語りかけます。

Perhaps if you go out into the world for a time, knowing what we expected of you, you will have a chance to find out if you can expect it of yourself.

 

さて、このマザーの言おうとしていることの意味はどういうことでしょうか。

◎Perhaps if you go out into the world for a time, knowing what we expected of you, you will have a chance to find out if you can expect it of yourself.

さあどう翻訳したら良いでしょうか。

その回答例は、







はい、言いますよ。

一度でも外の世界に入り込んでみて、修道院が貴女に求めていたものに気づいてごらんなさい。そうすれば、私たちが期待したのと同じように自分自身に夢をかけられるかを見つけるチャンスとなりましょうよ。(中あな流翻訳)

これは、あくまで筆者の翻訳です。もしかしたら異論があるかもしれません。

この文のポイントは、to find out if you can expect it of yourself にあると思っています。

これを筆者は、「自分自身に夢をかけられるかを見つける」と翻訳しました。

 

これは、マリアを厄介者扱いして、修道院から放逐するために方便として言ったのでないのです。

思うに、マザーはマリアの愛情の深さに気づいていました。その愛は神に向けられるのと同じように、「外界」(教会の外)にいる人々に向けることで彼女が役に立ち、彼女が自分自身に夢をかけることが出来ると信じていたのです。

さて、こうして、マリアは、「外の世界で」家庭教師として働くことになり、教会の扉を後にするのでした。

次回につづきます。

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