東西冷戦を象徴する「鉄のカーテン」という言葉を覚えていますか。それは1946年に行った英国首相ウインストン・チャーチルの次の演説から人々の間に定着するようになりました。

“From Stettin in the Baltic to Trieste in the Adriantic an iron curtain has descended across the continent.”
<バルト海のステッティンからアドリア海のトリエスタまで、欧大陸を分断して鉄のカーテンがおろされた>

なお鉄のカーテンはあくまでもイメージ上の比喩でしたが、1991年ソ連の崩壊と東西冷戦の終結により消滅しました。しかしいまも鎖のカーテンをかたどったモニュメントが残されています。

一方で、カーテンによって遮蔽するという概念は、実は劇場の防火カーテンにあったことを知ったのはこのリスニング講座でした。防火カーテンは、万一舞台の大道具などから出火したときに客席側に炎が燃え広がらないようにするためのものだとのことです。

During that time, Europe was split by this imaginary line known as the Iron Curtain, an image that refers to the iron curtain used in theaters to protect them against fireーthe scenery tended to be highly flammable and the iron curtain would stop the flames from spreading from the stage to the seats.
<東西冷戦の間、ヨーロッパは鉄のカーテンとして知られる想像上の線で分割された。鉄のカーテンはもともと劇場で防火用に使われていた。舞台の大道具などは容易に燃えやすいため、鉄のカーテンで炎が客席に燃え広がるのを防いでくれるわけである。>

ベルリンの壁は物理的に存在したミニ版の鉄のカーテンで、都市ベルリンを西と東に分断していました。図を見るとわかりますが、実際には東側にもう一つ壁があり、二つの壁の間は緩衝地帯のようになっていました。このベルリンの壁は、1990年10月3日に東西ドイツが再統一されるまで、ドイツ分断と東西冷戦の象徴でした。

僕たちはその歴史の転換点に立ち会っていたはずですが、すでに遠い過去の記憶になってしまった気がします。しかし今もなお、近隣にある共産主義国の脅威は、日本にとって遠い存在ではありません。

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